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2015年 02月 19日

ないものねだり

ジャコメッティ:Alberto Giacometti / 1901-1966

「ぼくは自分が曖昧で少しぼやけていて、まちがった場所に置かれている人間だという気がしている」


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ジャコメッティの彫刻は実体よりも薄く、人と人との距離感について作られたものの様に思えます。



物であふれて、つながりも複雑になった人と人の間で、自分自身をきちんと所有している事の強さは孤独と連帯感を凌駕する事のように思えますが、果たして。

 断舎利というものが、昨今はやりましたが、あれは形あるものを所有する事を放棄する行為でもっと内省的な個の働きを統率して、自分自身への所有を高める行いのように思えます

捨てる事は「以前持っていた」ことであるだけでなく、「捨てることができた」という達成感のための体験に他なりません。



 好きなものを所有する事は、まるで自己の輪郭のための行為に思えます。

「所有」することの窓口となっている小売の現場では、まさにその輪郭のためのコミュニケーションを行います。

 何を買ったところで何が変わるわけでもないのですが、一抹ででも自分の個としての輪郭のために、気に入ったもので周りを埋めるのではないでしょうか。

 でもそれは、あくまで外面を強化するための作業で、まだ見ぬ自分の正体に迫る働きとしては弱い様に思います。


確固たる個を主張できる事をよすがとするより、暗中模索で不格好でも「未開」の内部を内省する事を求められる時代になっているような気がしています。

 自分というものを固化する作業には、「知っている事」より、「解っている事」を保有しながら、ある種の自意識への理解をゆっくりと深めて行く事が欠かせない事に思えます。形あるもののみならず、知識や考察といったものも、集めているものに当てはまるかと思ます。








古物には、手に取る際に押さえておきたい情報がいくらかあります。

産地、時代、制作者、製法、なぜ古物においてその部分を知ることが必要なのか、ふと考えます。おそらくそれは、贋物や贋作からの防御であることのみならず、今はもう見る事のできない時間に思いを馳せるヒントのような働きをする事があり、見る事、手に取る事のできないものへの信憑性を瑞瑞しいままで補完する作業のようにも思えます。

それは、まだ見ぬ時間を他者に提供するためのものであり、そのもののもつ魅力を萌芽させることですが、私にとってはそれは第三者のためのものです。

分けは解らないけど、気に入って、買ってみた。そのあとに、じっくりと気に入った好きなものを観察して、好きなように好きなものを感受性に浸透させる事で、自意識でもわからない感覚的なものを取り込む術になり得ると思えます。




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甲冑すら「本体」として。人には触れさせない内部に言い訳をしながら、本当は傷付いていたり、煮えていたりする、言葉以前の、壊れやすい、しかし既に固まっている、個の真相や、生み出される孤独感、それへの癒しが「所有」と言う中に埋め込まれている気がするのです。

孤独と連帯感の間にある、確からしさのための弁舌では、人の心は動かせないとも思う中で、いかなる伝えかたが「確からしさ」から「確かさ」へ、持つべきものを変態できるのか探っています。


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Giorgio Morandi Still Life


正体自体が解明されていないものに、確からしさの甲冑をつけて自分としているのなら、ならば尚、「解らない自分」についての言い訳が欲しくなるものでしょう。




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by saisei-kaji | 2015-02-19 19:33 | 私感 | Comments(0)