犀星ブログ

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カテゴリ:骨董( 2 )


2015年 08月 12日

欠けたもの

燃え盛ると言うよりは、ぐつぐつと煮られるような暑さ

冬は夏の暑さを、夏は冬の寒さを待ち遠しく感じてしまいます。



8月、残暑。残る暑さに憂いはあるのでしょうか。

このまざまざとした熱のなかで、秋風の到来をただ待ちながら、ないものねだりだけが寒々と。








季節の美しさをついつい忘れてしまいますが、空気を吸う度に熱気も吸い込み、暑さに奪い取られた気を冷えたビールで補給しております。

酩酊を呼び寄せて、何のよすがになるでもなく。

夏のリリシズムに咆哮するのは蝉、ヒグラシの声だけが涼しい夏です。

無いものをほしがり、あれば飲み込んでしまう。

飲み込んで無くなれば、また欲しがってしまう。

生き生きとした姿が、ただあるだけでは飽き足らないのが人なのでしょうね。


骨董を扱うと、傷のもの、割れたもの、片割れや半端ものによく出会います。

人も物もなにかしら、キズついて、今があることを何度も何度も反芻します。

死して朽ち果てるまで、夢見た「完全」には遠く、時間を減るごと身体をやつれさせ、哀惜すら養いにはならず。



しかし、跡の残る傷には、その経験のコックピットとなった自身が刻まれていて、痛々しいと愛おしいが混濁した年輪の教訓が「暮らすこと」の永さを示唆しているように思えます。

彼らは傷をもち、痛々しい姿でもその現況の生き生きたる姿を受け入れているように見え、完器よりもたくましく、けなげで誇らしげに見える事があります。


「不完全」と「未完」の間の違いを感ずるのです。

完全から何かが欠けて不完全になり、すでに「成長途上の未完さ」とは姿を違えても、老いぼれてしなびてしまう事がなく、むしろ、創られたままの顔つきを何倍にも膨らませてくれるようで見逃せず、惚れ込んでしまうことがあります。

欠けて器としては用途を制限されたなかでも、再び人の手にまみえて器として呼吸し始める「きずもの」たちを愛おしく感じます。

私もまた、認めたくないほどの不完全で歪なものだから、そんな肩入れをしてしまうのでしょうね。

この分厚くて、おもくて、欠けていて、簡素な器にお酒を垂らして

蝉の泣き声や、夕立の遠雷を盃に染み込ませるうち、酣になり。

まるで先生のように自らに降り積もった時代なりの話をしてくれるようです









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黙っていても善い相手は、飲ませ上手この上なく。

いつかの話したあの時間をまた待つように、独酌の友は、欠けています。




江戸期くらわんか碗 波佐見


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by saisei-kaji | 2015-08-12 00:40 | 骨董 | Comments(0)
2015年 03月 21日

出店のご案内



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みなさまへ


三寒四温とは申しますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

このたびは、誠に僭越ながら来る4月に執り行われます、
 《第2回京都ふるどうぐ市》をご案内いたします。

 昨年から引き続き、本年の開催にも参加させていただく運びとなりました。
まだまだ、店舗ももたずのえっちらおっちらやっている私ですが、このような機会にめぐまれまして、昨年よりグレードアップした仕事っぷりを見ていただきたい気持ちと、この会にお集りの古物商・骨董店の選び抜かれた品々をご高覧いただく機会が、皆様にとって新鮮な体験になるかと思いお知らせ致します。
 

骨董の新潮流をご覧下さい。
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web 京都ふるどうぐ市

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by saisei-kaji | 2015-03-21 17:15 | 骨董 | Comments(0)