「ほっ」と。キャンペーン
2016年 05月 07日

わすれがたみ




I try to say goodbye and I choke
I try to walk away and I stumble
Though I try to hide it, it's clear
My world crumbles when you are not near




涙は乾く


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# by saisei-kaji | 2016-05-07 23:15 | Comments(0)
2016年 05月 07日

京都ふるどうぐ市を終えて

この度も出店させて頂きました、第3回京都ふるどうぐ市。
関係者みなさま、大変お世話になりました。

ありがとうございました。なみなみならぬご尽力・ご配慮に最大の感謝と、昨年から一年ぶりに顔を合せるご出店の同業者みなさまのお仕事への謙虚な努力と姿勢に見習わなければならないものを多く感じました。

派手でなくても、目立たなくても、みんなに見てもらいたい、知ってもらいたい、楽しんでもらいたい、便利に使ってもらいたいと思うものをコツコツ集めました。



こんなに、自分に自信の無い私を励ましてくれる、同業者の方々の優しさにはいつもどうやって返そうかと・・・・

今年のふるどうぐ市に参加していて、とても思った事が一つあります。
ふるどうぐ市の「方言」のようなものができつつあるのかなと思いました。

「方言」というのは、ここではうまく通じるのだけれど、あちらでは全く通じないといった、表現の共通性のようなものだとおもうのですが、確かに骨董の世界の中で、ふるどうぐ市のなかだけで、とても良くわかるやり方があるような。そんな気がしました。
骨董の世界は、数百円のものから、数千万や億の値がつくものを商売にしておられる業者・商店・競り市がたくさんあり、お金も人も思惑も大きく動くある一業種なわけで。その世界は人や関係がつなぐ深淵な世界だと思っています。その中の一つである事を、過不足なく正当な評価をしなくてはならないと思いました。
大きい小さいでは無く、その島が創った方言がすべてにならないように、要心する事が必要なのではないかと思ってしまったのです。


骨董の世界では、ものは、すでに物ではなく、もっと神格化されたような概念的な存在でありながら、物そのものでしか価値を表現できない存在です。

雨が降るような湿潤な肌の茶碗、
地層を抜き出したような信楽、
透けるような鍋島、時代が刻まれた古木。何度も脱皮した鉄。
湿気が沁み入ったようなガラス
仏像のような微笑みのこけし

そのものに幾ら着けてお客さまの前に出す事が正しいのか、とくに取り決めもありません。
いくらである事は重要ではなくなってきます。

秦秀雄は「それを見た眼が詩人であった」
と、ものが宿した魅力か、見つけた人間によるものなのか解答しています。

私は、私が出して来たもので、あなたの詩情が呼び出せたら、とてもうれしいです。












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# by saisei-kaji | 2016-05-07 17:41 | その他 | Comments(0)
2015年 11月 27日

おちこぼれ



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なんてことないことを大事にしていて、人よりおちこぼれても、何か期待をこめて世界を見ていたいと思う。

抽象が具象よりリアリティをもつ時があります。
イマジナリーで実像のないものが胸のなかに棲んでいることが、ある種の救済でありますようにといつも思います。
秘められた目に見えない現実が(誰しものなかで、)密かな支えになっているのだと思いたいです。








冒頭の絵画作品:有元利夫







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# by saisei-kaji | 2015-11-27 02:50 | その他 | Comments(0)
2015年 09月 14日

ライナスの毛布


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スヌーピーのライナスは、身近な物事への素朴な疑問をもち、哲学的な思慮深さを感じさせる名言をいくつも残しています。

でも、いつも指をしゃぶり安心毛布をほほに着けています。

甘えと脱皮のちょうど中間に位置している彼は、安心と不安の両方をいつも抱えています。

白血病の友達が、髪の毛が抜けていじめられたら猛然と怒ったりするライナス。

彼の義心は大人びているのに、何かで不安を緩めていないと自分が保てないのでしょう。






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私もブランケットコンプレックスでした。

眠る時、「クークー」という名前のブランケットが無いと眠りにつけませんでした。

さあ、寝なよと言う時に、兄弟のいたずらでクークーをどこかに隠されてしまい、パニックで泣いたりしていました。

日中はさほど気にもとめないのですが、いざ眠る時「無い」と言うだけで、不安がおしよせていたたまれなくなりました。

子供の頃にはもうひどくくたびれていたクークーを、おばあちゃんと母がタオルを裏に着けて補強してくれたりしました

小学生になり、お友達が泊まりに来たら、恥ずかしかったことを覚えています。

もちろん、旅行先には持って行かないので、たいていは眠れません。

少し、緊張状態を解くのがへたくそなのかもしれません。





徐々に年長になり、不必要にはなりましたが、今でも時々取り出します、もう、取り返しがつかないほどぼろぼろになってしまっていても、今でも枕の所にあり、眠れないときは頼りにしています。

落ち着くための、私なりのよすがなのです。

いくら大人になっても、忘れられない不安や、説明の付かない安堵感が誰しもにもあるようです。

病気をしたり、誰かと離ればなれになったり。

あらゆる挫折について、わずかの救済もないと感じずにはいられない時もあり、人生は困難です。

生きている限り続く困難が終らない中で、救済のきっかけを持ち続けられるなら、羞恥心を捨ててコンプレックスをある種の受け皿にして「内緒の」なにかを確保して行くことも、生きてゆく術であると再度思い返す夜です。


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# by saisei-kaji | 2015-09-14 01:31 | その他 | Comments(2)
2015年 08月 30日

ghost

音と響きの関係のようなものについて、ぼんやりと考えていた。

音は確かに聞こえているが、響きは音よりも幽かで存在がつかみにくい。けれど、それが無ければ、音の良さに打ち震える事はできないのです。



藤本由起夫の「26 philosophical toys」のヴァニラという短い文章の中で、

ヴァニラは、21世紀的な「薄い」オブジェの一例である。

と括る。

匂いは、目に見えなく持続性が無いと言う意味で非力だが、その存在感を感じている間、興奮と鎮静・天使と悪魔といった両極の2面性を強く感じさせると言う意味でとても物性をもつということだ。

実体から離れた物性の表現として秀逸な『「薄い」オブジェ』という命名が、物自体と感性の間が、目に見えるよりずっと克明であると記しているように思えてくるのです。

回りくどい言い換えをすると、物を見ている人の世界感がその人にそう見せている世界が存在するということで。。。




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不思議とそのとき頭の中の逡巡と、「ghost」のイメージが合致したのです。


背後霊のように、うすぼんやりとその存在の、幻しが、そのものに寄り添っている。


実質は実体と感性の2重構造であり、実体を視覚に捕えるのですがそれが『何か』を感性でつかむときに、実体より少し「薄い」ゴーストがあると仮定すると抽象空間が少し具象を帯びて、想起されやすい。



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例えば、「味」と十把一絡げにされてしまう共通認識としての質感や、「きれいね」と具体的なことばから、各々受け取る感覚があり、それは「きれいな」ものをみながら「きれい」なゴーストを捕えているのではないかと思えてくるのです。

「ゴースト」を捕える精度が高ければ高いほど、共通認識を汎用した表現を獲得しうると期待できてしまうのです。

もちろんそれは、各々個別の「ゴースト」で良いわけですが。。。


ありはしないのかもしれません。

けど、あるとすると、ものや人や、もっと見えにくい感情や感受性についての説明のしがたい在り方を、慈しめる気がするのです






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# by saisei-kaji | 2015-08-30 00:40 | その他 | Comments(0)